Profile
髙倉葉太|株式会社イノカ/代表取締役CEO
髙倉葉太|株式会社イノカ/代表取締役CEO
地球温暖化や、森林伐採による砂漠化といった人災――。見えやすい陸地での環境問題はよく知られる一方、海洋汚染への対策がクローズアップされることは、そう多くありません。地球の表面の7割を覆う海はあまりに広大で、これまで研究が進められなかった現状もあります。そこに一石を投じたのが、東京大学発のベンチャー企業のイノカ。世界ではじめて、産卵時期をコントロールしたサンゴの産卵に成功しました。通常夏ごろに産卵する種類のサンゴを、水槽に季節をずらした環境を再現することで真冬のサンゴ産卵に成功したのです。そんなイノカが次に挑むのは、水槽の中に海を創ること。海の生態系に大きな影響をおよぼすサンゴを筆頭に、イノベーションを起こすイノカCEOの髙倉葉太さんにお話を伺いました。
「私のバックグラウンドはいわゆるAIやIoTなどの情報技術です。大学在籍中に研究テーマに悩んでいた時に、中学校・高校と夢中になっていたアクアリウムと、自分の今の知識や技術を掛け合わせられらないかと思ったのがイノカの始まりでした。ただ、子どもの頃のように趣味の世界で完結するのではなく、地球規模の課題解決や、人の生活をより豊かにしていくために動いていこうと思ったんですね」
アクアリウムとは、魚を主とした海生生物を飼育する水槽のこと。イノカが革新的だったのは、水槽の中に「極めて海に近い環境」を生み出した点です。水槽内に海洋環境を再現する技術「環境移送技術」を用いて、イノカは2022年の2月にサンゴの人工産卵に成功します。それは、日本では6月にしか産卵しないサンゴの産卵をコントロールした、世界初の試みでした。
「サンゴ礁が広がっているのは海洋面積の0.2%なのですが、そこに依存して暮らす海洋生物は25%いると言われています。サンゴ礁は海洋生物の生活圏であり、いわばインフラのような役割を果たしています。にも関わらず、サンゴの生態の知見がたまっていない。真冬の環境を再現したサンゴの産卵は世界からも注目を集めたのですが、ほんの一歩に過ぎないというのが実状です。理想は、12個の水槽を制御し、毎月サンゴの産卵が出来るようにすること。世界に目を向けると、サンゴの研究においては、熱に強いサンゴを作る動きがあります。地球温暖化に対抗して、米のように品種改良していくことが重要だと考えられているんです」
沖縄の海に行ったことのある人なら目にしたこともあるかもしれない、サンゴの白化。白化したサンゴは生きてはいるものの弱っており、そのまま放置すると死へと繋がります。白化の原因は様々なものがあると言われており、その中の一つが地球温暖化。海外の動きは、そうした温暖化に対応しようとするものなのです。しかし、それはあくまで海洋汚染の一要素に過ぎず、人類が海洋に与える影響は完全には解明されていません。そんなブラックボックス化している海洋環境に光を与えるのが環境移送技術です。“海を見える化”することによって、環境はどのようにリデザインされるのでしょうか。
「東京湾が今と一年前でどのように変わったのか、ニュースで聞いたことがありますか?関東の人間にとってすぐ近くにある東京湾でさえ、何が起こっているのか誰も把握していないんです。陸地の場合、砂漠化や土砂崩れ、山火事など、人が共感を持ちやすい事象が多いために、木や森を守るアクションに繋がっていますよね。海に対して何もアクションがないのは、何も知らないからじゃないでしょうか。“海を見える化”することで、海洋環境を身近に感じてもらうことが大事だと考えています」
「たとえば、世界中の海水浴客が使う日焼け止めが、どれほど海やサンゴに悪影響を与えているのか。考えたことのある人はほとんどいないのではないでしょうか。もしかしたら、海にとっては叫びだしたくなるほどの悪い影響があるかもしれませんよね。それ以外にも、生活排水や洗剤・シャンプーといった分かりやすいものに加えて、尿として排出された薬が化学物質として流れ込んでいきます。衣類や人工芝が生み出すマイクロプラスチックに、果ては街頭や街の騒音までもが、海の環境に影響を及ぼします」
改めて説明すると、環境移送技術とは「閉鎖空間に自然環境を高度に再現(移送)し、複雑な環境パラメータを制御・モニタリング。空間軸・時間軸ごと環境を“モデル化”する技術」のことです。サンゴの人工産卵は環境移送技術の応用領域の一つにすぎず、その真価は環境パラメータを制御することで、自然環境下においてはデータ取得の難しい研究を推進できる点にあります。たとえば、日焼け止めが海洋に与える影響のテスト。海での実証実験をしようにもハードルがあるのですが、環境移送技術を応用すれば限定された空間下での実験が可能になるのです。
「人体への影響はこれまでも追求されてきましたが、今後はもっと大きな観点での影響を測っていくことになります。イノカの技術で可視化された影響を踏まえながら製品を開発していけば、それは新しい価値を生み出すことにも繋がるはず。ただ、日本は水に恵まれている分、海外に比べると遅れているところがあります。たとえばドイツは日本よりもアクアリウムの技術が発達しているのですが、それは水が少ないからなんですね。貴重な水を有効活用するという精神が刻み込まれている。彼らと同じような視野を持つためには大人への啓もうはもちろん、子どもたちへの教育が大事だと考えています」
「環境問題の話をするときに、意識していることがあるんです。それは『~すべき』といった義務的な言い回しをしないこと。それよりも、海や自然が好きで、そこにいる生物も多様で面白いということを感じて欲しいんです。海の面白さを見つけて理解を深めてもらえれば、環境保全は当たり前のことなんだって思えるはず。そうしたら、どうすべきかなんて議論は生まれず、シンプルに海のことを考えられます。子供たちの考え方が変化すれば、保護者である大人にも浸透していくと思うんです」
ボトムアップの教育で、当たり前のように海を大事にする世界を作る。そんな期待を込めて運営されているのが、サンゴ礁ラボです。ラボではイノカが手掛けるアクアリウムを目の前に、サンゴ礁の生態を間近に感じることが出来ます。
「サンゴ礁ラボでも教えていることなのですが、全世界にサンゴは約800種類存在しています。沖縄に生息しているのは、そのうちの半数以上である430種。これは、広大なグレートバリアリーフを擁するオーストラリアと同等の規模です。そして、先ほどもお話したように、サンゴ礁が育む環境に依存する海洋生物は全体の25%もいます。日本のサンゴ礁を知り、保護することは世界的にも意義のあることなんですよ」
こうした情報を高倉さんはネイチャーポジティブ経済研究会でも発信しています。ネイチャーポジティブ経済研究会とは、環境省の生物多様性主流化室が主催しているもので、日本の産業構造を踏まえた気候変動・循環経済などの課題を解決し、生物多様性の実現を目指すためのもの。
今、世界ではTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)が、企業の経済活動の根幹に据えられようとしています。これは生物多様性に対して、企業がどのようなマイナスを与えているのか明確化しなければならないというものです。カーボンニュートラルだけが注目される時代から、もっと広い視点で地球環境を捉え直す時代へ。そうした時代の潮流の中にイノカは存在しています。
無知を既知にし、世界を少しずつ変えていく。イノカのリデザイン的思考はどこから来ているのか。そして、どこを目指していくのか。高倉さんにお話しいただきました。
「かしこまって語れるほど大層な話ではなくて(笑)。僕がずっと好きだったものと、自分が持っている技術を掛け合わせただけなんですよね。ただ、「好きを仕事にした」というと、誤解があります。好きなものの本質を理解し、それをどう価値に変換していくのか再定義しているんです。趣味は一人の世界で完結出来ますが、仕事はそうもいかない。姿かたちを変えて、人に受け入れてもらえるような形にリデザインしています」
「イノカの社名の由来は「innovate aquarium」。「innovate」から「inno」を「aquarium」から「qua」を取って、innoqua(イノカ)です。アクアリウムから革新を生み出すという想いが込められています。ですから我々が目指すのは、世界の資本であり、インフラでもある海を中心にすべての環境問題に取り組み、その上で人と自然の真の共生を創ること。それからアクアリウムは美しさが指標ですが、見た目は地味でも、そこには飼育をする上でのさまざまな工夫や愛情があります。そういったことを評価する独自のアワードを立ち上げました。次のフェイズとしては、そんな愛好者たちとつながり、サンゴ以外の生物にも広げていきたいです。食用にもなり、CO2を吸収してくれる海ぶどうやマングローブなどですね」
「大学院時代、所属ラボの暦本純一先生に授けていただいた言葉なのですが、『素人発想、玄人実行』を大事にしています。『悪魔のように細心に、天使のように大胆に』という黒澤明監督の有名な言葉があって、それと近い発想ですが、長い間同じ業界にいて同じことをやっていると、どうしても『玄人発想、玄人実行』になってしまいます。そもそもの理論がある上で、素人実行ではダメなので、しっかり実装を続けていく考え方です。それから、当たり前のことを当たり前と思わないこと。たとえば、人はおにぎりを食べて動きますが、これは当たり前。でも、おにぎりをiPhoneで充電する人はいませんよね(笑)。でも、当たり前ではないことを可能にしていくことが重要だと思います。わざわざサンゴ礁の海まで行かなくても、身近にあらゆる生物がいます。日々目の前でいろんな現象が起きることについて、子どものような目線で、なぜこんなことが起きているんだろう?という視点を持つだけで、視野が広がり、豊かになれます。最近、知人の紡績工場を訪問したのですが、綿花の実から長い過程を経て、細くて長い糸ができます。これもひとつのリデザイン。そんな視点で物事を見ていくと、当たり前のものがそうではなくなり、新しいものが見えてくるのではないでしょうか」
Profile
髙倉葉太|株式会社イノカ/代表取締役CEO
兵庫県姫路市生まれ宝塚市育ち。東京大学工学部機械工学科、東京大学大学院 学際情報学府総合分析コース修了。落合陽一氏を輩出した暦本研究室で人工知能や機械学習の研究に従事。在学時にハードウエア開発会社「Makership」創業し、創業メンバーとしてCOOに就任。2019年、「100年先も人と自然が共生する世界を創る」をビジョンに掲げ、株式会社イノカを創業。独自の生態系を再現する“環境移送技術”により、環境保全・教育・研究に取り組む。環境省・生物多様性主流化室が主催するネイチャーポジティブ経済研究会の委員に就任。