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清水恵介|クリエイティブディレクター/アートディレクター
清水恵介|クリエイティブディレクター/アートディレクター
プロフェッショナルも素人も隔たりなく、多種多様なコンテンツが流通するようになった現代社会。多くのコンテンツは細分化され、数値化されています。コンテンツの取捨選択が容易になった反面、共通言語となるようなヒットコンテンツが見えなくなった時代とも言えるかもしれません。
そんな中、YouTubeの総再生回数44億回のモンスターコンテンツを手掛けつつ、これまでにない切り口の音楽番組やアートギャラリーを手掛けるのがクリエイティブディレクターの清水恵介さん。
数値主義社会で成果を残しながらも、数値では可視化できない試みにも挑戦する。その軽やかな発想はどのように生み出されているのか。人生をリデザインするためのヒントとともにお伺いしました。
清水さんが生まれたのは1980年。インターネットはなく、テレビが音楽の流行を担っていた時代でした。当時、小学5年生でサッカー少年でもあった清水さんもその例にもれず、欠かさず“今週の一位”をチェックしていたそうです。
ですが、その裏側ではインディーズ音楽が隆盛の時を迎えようとしていました。その中の一つが『筋肉少女帯』や『人生(電気グルーヴの前身)』を抱えていた『ナゴムレコード』。そして、『ナゴムレコード』出身の中でも最大のヒット曲を生み出したのが『たま』という四人組のバンドでした。
「一緒にサッカーをやっている友達も音楽好きで、ある日CDをたくさん持ってきてくれたんですね。その中の一つが、『たま』の『さよなら人類』という曲でした。当時のヒット曲とは異なる音楽性で、言葉に変態性があったんです。音楽はこんなにも自由にやっていいものなんだと、衝撃を受けたのを今でも覚えています。そこから『ナゴムレコード』にはまり、その後に『クルーエルレコード』や『トラットリア』※に代表される渋谷系にもどっぷりと浸かりました笑」※ともに音楽レーベル。
渋谷系とは、文字通り渋谷から発展していった音楽のこと。音楽だけではなくCDジャケットなどビジュアル的な要素もふんだんに含んでおり、ファッションに対しても大きな影響を与えたとされています。
「あの頃の音楽は、CDジャケットと音楽が1セットになっているような感覚がありました。音楽を聴いているんだけど、ジャケットも同じくらい魅力的。音楽とデザインが世界観を作り出していた時代だったと思います。渋谷系のデザインの方向性を大きく定めたのが、信藤三雄さんというデザイナーで、僕の中ではアーティストと同列、もしくはそれ以上に“憧れ”の対象でした。華々しい舞台の裏側でフレームを作り、世界観を構築していく。そしてそれが仕事になる。それがたまらなく格好いいなって」
メインストリームとは異なるインディーズというジャンル。そして、表舞台を支える裏方として輝くデザイナー。音楽を起点としてその周辺のカルチャーにも傾倒していった清水さんにも、進路を選ぶタイミングが訪れます。ですが、その選択もまた、多くの学生が選択する“進学”という道からは大きく逸れるものでした。
「学生時代は美術が得意だったので、最初は美大に進学するつもりでした。ただ、周囲の影響で、勉強するよりもとにかく何かを作りたいって気持ちになってしまいまして笑。音楽もやっていたので、ミュージックビデオを作るぞ!と意気込んで映像の学校に進学したんです。ところが、いざ入学してみると才能のある人たちばかりで、映像の分野では気後れしてしまいました」
そんな時、清水さんが出会ったのがミュージシャン兼デザイナーとして活動していた方でした。
「とにかく持ち上げてくれる人で、“君がつくる音楽はすごくいいから、一緒にバンドをやろう”と熱を込めて言ってくださったんです。当時は19歳だったので、その言葉を特に疑うこともなく、やはり勢いでバンド活動を始めることになりました」
そのバンドは音楽レーベルからデビューし、清水さんはメンバーの一員として雑誌のインタビューを受けたこともあるそうです。ですが、当時の胸中は複雑だったと清水さんは振り返ります。
「自分には、音楽の才能がない。そう感じる日々でした。アーティストの立場になり、その気持ちになれたことは、今となっては貴重な体験だったと思います。それでも、自分は違うなという違和感はぬぐえませんでした。運が良かったのは、バンドに誘ってくれた方がデザイナーとして様々なアーティストのジャケットデザインを手掛けていたことです。アシスタントとしてお手伝いしていくうちに、少しずつ自信がついてきて、最終的にはデザイナーとして独り立ちしてみようと決心するまでになりました」
その後、清水さんはデザイナーとして映画配給会社『キネティック』やデザイン事務所の『ダイナマイト・ブラザーズ・シンジケート』に所属。デザイナーとしてのキャリアを着々と積み重ねていきました。やがてフリーランスのデザイナーとして『TBWA/HAKUHODO』※に籍を置くことになります。
※日本の広告会社『博報堂』とアメリカの広告会社『TBWAワールドワイド』のジョイントベンチャー。クリエイティブに強い広告代理店として知られている。
『ダイナマイト・ブラザーズ・シンジケート』は雑誌やCDジャケットのデザインを手掛けている会社だったのですが、なぜか広告ばかりを担当することになりまして。正直なところ、自分が内にこもるクリエイタータイプの人間だったこともあり、“広告は向いていないよな”なんて思ったりもしました。ですが、『TBWA/HAKUHODO』で最初に関わったプロジェクトが本当に素敵な企画で、価値観がぐるりと変わったんです。そのプロジェクトは、adidas SKYCOMICという、当時のサッカー日本代表選手たちの母校で、25メートルプールほどの大きさの絵を学生たちと描き、最終的に“漫画”にするという、ダイナミックなもの。僕はアートディレクターとして、ペンキまみれになりながら日本中を巡っていました笑」
自身の肉体を使い、コミュニケーションをしながら“広告”という作品を作り上げる。
その経験は、それまで自身の思考を中心にデザインに取り組んでいた清水さんにとって衝撃的なものでした。
「色々な人と関わって、言葉を交わして、何かを作っていく。あの感覚を早くにつかめたのは大きかったですね」
音楽からデザイン。デザインから広告へ。ステージを移しながらもクリエイティブの道を歩む清水さんでしたが、音楽との縁がなくなったわけではありませんでした。
真っ白なステージの中央に置かれたマイクと楽器。アーティストの一発撮りのパフォーマンスを鮮明に切り取る、YouTubeチャンネル『THE FIRST TAKE』。
張りつめた空気がアーティストの“生の顔”を引き出し、ライブに立ち会っているかのような感覚を呼び起こす。そんな独特な作風が話題を呼び、清水さんがクリエイティブディレクターとして手掛けた中で最大のヒット作となりました。
「心がけたのは今までにありそうでなかったフレーム(枠組み)を作ることでした。フレームつくりをはじめて意識したのは、『フリップ大喜利』です。文字通り、フリップで大喜利をするというシンプルなもので、馴染みのある方も多いのではないでしょうか。今や定番となったこの手法は、放送作家の倉本美津留さんが生み出したものです。最初は彼の仲の良い芸人の番組でだけやっていたものが、いつの間にか一種の型となって、どんどん広がっていきました。フリップ大喜利が生まれなければ、今ほど活躍は出来ていない。そんな芸人さんたちもいるのではないかと思うほどの発明だったと思います」
清水さんが『THE FIRST TAKE』で意識したのは、誰もが一目で理解でき、参加できる型を作ることでした。そうして生まれたのが、観客やカメラマンの存在をそぎ落とした舞台です。
「いつも大事にしているのは、“何をしないか”ということです。何でもしてもいい状態だと、選択肢が無数にあって何も選べなくなってしまいます。自分の脳が活性化しないんですよね。むしろ、“これはしてはいけない”と決められた方が、その枠の中での試行錯誤が活発になります。そうやって、“何をしないか”という選択肢を決めていくことで、独自の色が出てくる。それが僕にとってデザインするということなんです。といいつつ、僕自身も駆け出しの頃は“自分の色を見つけろ”とよく言われていました。今も毎回100%自信があるわけではないのですが、ベースにあるのは若いころに好きだった音楽レーベルのクリエイティブです。何でもやるのではなく、やること・やらないことを決めたからこそ、個性的なレーベルが生まれたはず。そういうものに慣れ親しんでいた経験が、今の仕事にも活きていると感じます」
制約を設けることで、近年まれにみる大ヒットとなった『THE FIRST TAKE』。
後編では、音楽コンテンツ『おかえり音楽室』、そしてまったく異なる試みの『SHABA』についてお伺いしていきます。
後編はこちらから。
Profile
清水恵介|クリエイティブディレクター/アートディレクター
1980年生まれ。クリエイティブディレクター/アートディレクター。Netflix Japan、UNIQLO、SHISEIDO、UNITED ARROWS、NISSAN、AIG、MUJIなど、数多くのキャンペーンやコンテンツを手がける。’19年YouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」、’22年NHKの音楽ドキュメンタリー「おかえり音楽室」の企画・クリエイティブディレクション・アートディレクション・映像監督を担当。クリエイターオブザイヤー’18メダリスト、Campaign誌クリエイティブパーソンオブザイヤー’19、カンヌ金賞、NYADCグランプリ、ACCグランプリなど受賞多数。