Meister
#14

光に魅せられて、日本初の照明デザイナーに。
日本のライトアップの生みの親、
石井幹子のリデザイン

石井幹子|照明デザイナー

文明の発展と「光」には深い繋がりがあります。火を見出し、電気を生み出すことで人間は活動領域や時間を拡大してきました。近代においては都市照明が大きな役割を果たしています。夜の闇を和らげ、時には人々の目を惹く観光スポットにもなる都市の光。その中でも建築物や街並みを美しく浮かび上がらせるライトアップは、誰にとっても親しみのあるものです。

日本にライトアップを根付かせたのが石井幹子さん。東京タワーや横浜ベイブリッジ  など、誰もが知るランドマークのライトアップを手掛けられてきた方です。

日本のライトアップの歩みから、人体にとって心地いい照明にいたるまで、日本の照明をリデザインしてきた第一人者にお話を伺いました。

日本の夜を照らすために。古都京都から始まった照明実験

小さな頃からモノ作りが好きだったという石井さんは、東京藝術大学美術学部図案計画科(デザイン科)に入学。プロダクトデザイナーになるための勉強をしていたそうです。ただ、そこで学んでいたのはあくまでプロダクトデザインであり、照明のことではありませんでした。そんな石井さんが照明に強く興味を持ったのは、卒業後に就職したデザイン事務所で手掛けた照明器具に光を通した瞬間でした。

「光が照明器具の形をくっきりと浮かび上がらせたんです。光って空気と同じように、あって当たり前のものですよね。昼間も夜も、光が溢れているでしょう? でも、私が作った照明器具に光が灯った時に、製作している時には思いもしなかった光景が広がったんです。その時、光ってすごい存在だと思ったんですね。それからは光の勉強をするために日本を飛び出して、フィンランドの照明器具デザイナーであるリーサ・ヨハンソン・パッペ先生※に師事しました」

※リーサ・ヨハンソン・パッペ…20世紀のフィンランドを代表する照明器具デザイナー。機能性と光の美しさを両立する作品は長く愛されている。石井さんの長女である石井リーサ明理さんのミドルネームはリーサ・ヨハンソン・パッペに由来している。

フィンランドで照明器具デザインについて学んでいくうちに、石井さんは建築物を照らす光に関心を持ち始めます。家ではなく、もっと大きな建築物を照らすことで新しい世界が見えてくるのではないか。そう感じた石井さんはドイツの照明設計事務所に移ります。その事務所では建築照明のデザインに留まらず、照明器具から開発することで、もっとダイナミックに建築照明を再定義しようとしていました。

プロダクト(照明器具)デザインだけでなく、照明による空間デザインを濃密に学んだ石井さん。帰国後は事務所をみずから立ち上げ、日本初の照明デザイナーとしての道を歩み始めます。

石井さんの著書の数々。作品集のみならず、石井さん自身が書き下ろしたものも多数ある。最新の作品集は2020年秋に求龍堂から刊行された『MOTOKO ∞LIGHTOPIA 石井幹子 光の軌跡』

「日本に帰ってきたのが1968年。大阪万博(1970年開催)の前だったので、万博のお仕事を色々やらせていただきました。それからしばらく日本での活動をベースにしていたのですが、オイルショックで照明デザインは電力の浪費だと風当たりが強くなってしまって…そんな時にお声がけいただいたのがミノル・ヤマサキさんという著名な日系のアメリカ人建築家です。彼から依頼を受けて、中近東などでお仕事をさせていただきました」

仕事の幅を広げて日本に戻ってきた石井さんでしたが、そこからの道も平たんではありませんでした。直面したのは、日本の照明に対するリテラシーの低さ。大阪万博という華やかなイベントで実績は作っていたものの、当時の日本は都市照明に対して無関心と言われても仕方がない状態だったのです。

「今は色々な寺社仏閣でライトアップされている京都ですが、当時は褒められたものではありませんでした。京都タワーから街を見下ろして見てみたら、道路照明がちょっとだけありましてね。やたら明るいものがあるなと思ったらパチンコ店のネオンだったんです。京都の魅力である寺社仏閣や、その周りにある森が夜になるとまったく見えなくなって、目立つのはパチンコ店。これが古都京都かと恥ずかしくなりました。しかも、2年後の1979年には国際照明委員会の大会が京都で開催されることになっていました。その前の大会はロンドンで行われたのですが、市長が先頭に立って照明を整備されたんですね。綺麗に照明されたロンドンを経験した照明関係者が、京都に来るのかと思うと愕然としました。これはいけないと思って市役所に掛け合ったんですが、まったく相手にされず。向こうが理解しやすいように資料を用意するしかないと思って、京都市照明景観照明計画を立ち上げました」

二条城での照明実験の様子

何ヶ所で  どの程度の機材が稼働するのか。その施工費がいくらになるのか。さらに電気代まで計算した緻密な計画を石井さんは一人で作り上げました。しかし、市役所は相変わらず理解を示しませんでした。

「最終的には手弁当で照明実験をすることになりました。実際に照らされたものを見れば、みんな賛成してくれるだろうと思いましてね。平安神宮の大鳥居ですとか、二条城ですとか、ちゃんと了解を得て実験をさせていただきました。ライトアップしてみて評判が良かったのは圧倒的に女性でしたね。アンケートを取ってみたら女性の100%が肯定的。男性は電力の無駄じゃないかって言う人もいらっしゃって、賛同してくださったのは80%ほどでした。でも、女性の皆さんに賛同していただけたことに大変勇気づけられて。機会があるごとに色々な街で照明実験を手弁当でやりました。世間から認められて仕事になったのは、それから8年後でしたね」

野県善光寺を中心にライトアップされる『長野灯明まつり』は2003年からスタート。20年間愛されるイベントに成長し、そのすべてを石井さんが手掛けている

横浜、そして東京タワー。始まる日本の夜のリデザイン

各地で行ってきた照明実験が実を結んだのが、1986年の横浜ライトアップフェスティバルでした。  ライトアップされたのは歴史的な建築物が並ぶ関内地区。ライトアップされる建築物を回れるようにパンフレットを用意しましたが、予め刷ってあった1万枚はあっという間になくなるほどの反響があったそうです。

「市民の方々からは常設して欲しいという声をいただきましてね。今では約50ヶ所がライトアップされています。日本のライトアップは横浜を発祥として広がっていったと、私は思っています。それから横浜には縁がありまして、ベイブリッジのライトアップも担当させていただきました。大型橋梁のライトアップは初めてだったのですが、嬉しかったのはベイブリッジが白い橋だったことです。それまでの橋は赤とか青とか、色がついていたんですね。ライトップにはあまり向いていません。その点、白い橋であれば綺麗にライトアップが出来るんです」

青くライトアップされた横浜ベイブリッジ

「プロジェクトを始めるとき、私はいつもsomething newを取り入れています。ベイブリッジの時は白く照明するだけでは面白くないから、1時間に1回だけ橋の主塔の先端を青色に染めるという提案をしました。実際にやってみたら、とても人気が出ましたね。青色の時にプロポーズをすると成功するなんて取り上げられ方もしました。そうしたら今度は道路公団側から、1時間に1回だと気の毒だからということで、今では1時間に2回青色にライトアップされるようになっています。ベイブリッジのお仕事は今でも続いていて、今度は照明をLEDに切り替える予定なんですよ。LEDにするとクリスマスや新年、特別なフェスティバルの時にまた違った色でライトアップ出来ます。何色にするのか私たちで提案する予定なので、楽しみにしていてください」

横浜での実績を手に、石井さんは函館や倉敷など日本の各地でライトアップを手掛けていきます。日本の夜が、ライトアップでリデザインされていく瞬間だったと言えるでしょう。1989年から始まった東京タワーのライトアップもまた、東京の夜を変えた出来事の一つでした。

「実は、当時の東京タワーは、なかなか厳しい状況だったんですよ。周囲に住む人たちからはあまり興味を持たれておらず、展望台にしても、東京都庁展望室(無料)や池袋サンシャイン展望台(現てんぼうパーク)が出来て、ますます立場がなくなってしまいました。でも、なんとか東京タワーに注目を集めたいんだと、社長から依頼を受けたんです。ただ、そこからが大変でした。東京タワーは資材が限られている頃に作ったものですから、骨組みが華奢なんです。普通に照明すると、光がすべて抜けてしまう。そこで、その細い骨組みの中に照明を入れることで、内側から骨を照らせるようにしました」

住民からの期待度は低く、ライトアップさせるのも一筋縄でいかず、まさに難産といえる東京タワーのライトアッププロジェクト。ですが、いざ点灯が始まってみると、その美しさに魅せられた人々が多く集まりました。路上に屋台まで出されるほどの賑わいで、今に至るまで多くの人々に愛されています。

「今でも東京タワーが大好きっていう方がとっても多いのは、本当にありがたいことです。東京タワーとも長い付き合いで、2008年にはダイヤモンドヴェールを導入しました。文字通り、ダイヤモンドのように輝く照明で、2019年にはインフィニティ・ダイヤモンドヴェールに進化して、光で色々な表現が出来るようになりました。サッカーの日本代表の試合があるときはブルーにしたり、大谷選手がMVPを獲得した時にはエンゼルスのチームカラーを表現したりですとか、イベントに合わせて色彩を変えることもしています」

東京タワーのホームページではライトアップカレンダーを見ることが出来るのですが、季節ごとの色合いやイベントに合わせた特別な照明など、年間の照明スケジュールを石井さんの事務所が取り組んでいます。日本の照明デザインを切り拓いただけでなく、今も最前線で走っている訳ですが、石井さんの活躍は世界にも広がっています。

照明で和を表現。世界に広がった照明デザイン

石井さんが海外でのプロジェクトを進行するようになったのは、2008年から。海外でのプロジェクトには、心強いパートナーがいます。石井さんと同じく照明デザイナーとしての道を選び、現在はフランスを拠点に活動するリーサ明理さんです。

フランスのパリ・セーヌ川から始まり、翌年にはハンガリー。かつて石井さんがキャリアを積んだドイツ、中国、スイス、イタリアと約10年間に渡って母子で仕事を手掛けてきました。

石井リーサ明里さん(左)と石井幹子さん

「海外でイベントをやる時はいつも、日本のメッセージをその場所に伝えたいと思っています。ただ、日本って意外と分かりづらい。海外の方に日本を紹介する時に象徴的なのは、お花やお茶、歌舞伎や能など、伝統的なもの。そこで考えたのが今の最新技術で日本の伝統的なものを光で表現することでした。2018年のパリのエッフェル塔では『自由と美、そして多様性』をテーマにしたのですが、尾形光琳の『燕子花図屏風』を始めとして、日本を感じさせるものを使いました※。街の中でのライトアップは無料ですから、たくさんの人が見てくれますし、日本に行ってみたいと言ってくれる人もいます。光で日本の伝統的なものを表現して、それを何十万人も楽しんでくれるのは本当に嬉しいことですね」

※プロジェクションにて作品を投影

海外での大掛かりなプロジェクトはコロナの影響で現在はストップしているものの、10年前から参加しているパリの展示会があります。毎年1月と9月に開催されるMaison & Objet。インテリア業界のパリコレとも呼ばれる展示会です。

「Maison & Objetに私たちは招待デザイナーとして参加しています。世界中からプレスがやってきて、うちのブースにも80人くらいの方がいらっしゃるんですよ。その後、南米やロシアやフランス、ドイツといった各国のインテリア雑誌に掲載されます。日本だとインテリア雑誌にあまり馴染みがないかもしれませんが、フランスやドイツではキオスクに売られているんですよ。それだけ皆さん、住まいに対しての関心がとっても高いんです。Maison & Objetの今年のテーマは、enjoy。コロナが落ち着いてきたからenjoyしましょうという意味合いですね。私たちのブースのテーマはtogether。一緒に楽しみましょうということですね。照明の色々な新しい切り口を紹介させていただく予定です」

世界、そして日本で数々のライトアップを、デザイナーとして成功させてきた石井さん。ですが、そうした華々しい活動と並行して、力を入れている取り組みがあります。人間の生活リズムに合わせた照明を提案する、サーカディアンリズム照明です。

心地よい照明で生活リズムをデザインする

「朝、日の光で目覚めて、夜が深くなるとともに眠りにつく。本来、人体にはそうしたリズムがあります。照明に置き換えると、午前中は白っぽくて高い照度、午後は照度を下げて温かみのあるものに、夕方はもう少し明るさを抑えて、寝る前は照度を限りなく低くする。そして眠りにつく。人体の生体リズムに合わせたサーカディアンリズム照明ですね。人体に良い影響を与えるという研究も大体完成していて、学術的な裏付けもあるものなんですよ。このリズムが崩れると人体にもメンタルにもマイナスなのですが、現代社会は少し光が強すぎますね。オフィス街は夜遅くまで白い光がついていて、電車に乗っても明るい。そんな状態で帰宅して早く寝なさいと言ったって、寝られないわけです。実際、東京の人は4人に1人が睡眠障害だと言われています」

「夕方から夜にかけては、今の5分の1程度の照度でいいんです。オフィスが暗くなれば、帰りやすくなるでしょう。家でも出来るだけほの暗く、手元灯くらいで充分。ですから天井に照明をつけるよりも、スタンドを活用していただきたいですね。私の自宅では天井に照明をつけず、すべて間接照明になっています。とても気持ちよく過ごせますよ」

明るい照明は文明の発展の証。ですが、少し立ち止まって見て、自分にとって心地いい光とは何か探してみるのもいいかもしれません。

ほの暗い照明は、人を美しく見せる機能もあるのだと石井さんは続けます。

2023年3月25日からスタートした姫路城の彩雲ライトアップ。柔らかな光が姫路城の白漆喰の美しさを際立たせる。照明はLED署名器具を使用しており、CO2排出量にも配慮されている

「電気がなかった時代は、行灯が使われていました。下からほんのりと照らしますから、色々なものが美しく見えたんじゃないかと思います。舞妓さんのお化粧が何故あんなに白いのか、考えたことはありませんか? あれは本来、行灯で映えるお化粧だったんじゃないかと思うんです。歌舞伎のお化粧も同じ。長い棒の先に蠟燭をつけて照らしていましたから、怪しいほど美しく見えたんじゃないでしょうか」

自分が美しいと思うものを信じることが、人生をリデザインする

最後に石井さんが考える「良い照明」、そして人生をよりよくリデザインするためのアドバイスをいただきました。

「一番目がいいのは、18歳頃なんだそうです。それからずっと衰えていきますから、目に優しい照明を考えなければいけません。これは先ほどのサーカディアンリズムの話とも通じるものがありますね。それから私たちが照明を手掛ける時に心がけているのが、できるだけ使用エネルギーを少なくすること。2013年から毎年11月の初めに、上野公園で創エネ・あかりパークというイベントをやらせていただいていますが、それはグリーン電力で賄っています。それから10月半ばから始まるよみうりランドのジェエルミネーション※でも、近年はグリーン電力に切り替えています」

※2010年から石井さんがライトアップを担当。

よみうりランド ジュエリミネーション

創エネ・あかりパーク

「私は光のことだけをずっとやってきたんですけれども、好きな気持ちは変わらないですね。可能性がたくさんあって、本当に美しい。もしも醜い光があったとしたら、それは使い方が誤っているんだと思っています。自分が美しいと思うものに没頭して、その世界をどんどん進んでいくっていうことが、私自身はとても幸せでした。皆さんも、ぜひそういうものを見つけて、一つの分野を進んでいっていただいたら、そこにたくさんの幸せがあると思います」

Profile

石井幹子|照明デザイナー

都市照明からライトオブジェや光のパフォーマンスまでと幅広い光の領域を開拓する照明デザイナー。

日本のみならずアメリカ、ヨーロッパ、中近東、東南アジアの各地で活躍。

日本を代表する照明デザイナーとして、海外での知名度も高い。

東京藝術大学美術学部卒業。フィンランド、ドイツの照明設計事務所勤務後、石井幹子デザイン事務所設立。

光文化フォーラム代表として、国内外の光文化の継承・発展にも力を注いでいる。

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