Voyager
#21

支援の“隙間”を埋めるように災害復興をデザインする。
FUKKO DESIGN 木村充慶のリデザイン

木村充慶|一般社団法人FUKKO DESIGN 理事

絶えず様々な災害に見舞われる国、日本。そのたびに、復興に向けて行政、NPO、ボランティアなどが奮闘してきました。ですが、被災したすべての人々に対してアプローチできているわけではありません。中には、そもそも自身の状況を発信できない人々もいます。

今回お話をお伺いする木村充慶(みつよし)さんは、そんな埋もれてしまいがちな“隙間”をどうにかしようと奮闘してきました。彼が2019年に立ち上げた一般社団法人FUKKO DESIGNには様々なバックボーンを持ったメンバーが集い、各々の得意分野を活かしながら独自の復興に取り組んできました。

FUKKO DESIGNのこれまでの歩み。そして、今後私たちはどのようにして防災意識をリデザインしていくべきなのか、お話いただきました。

被災地支援で感じた“広告”の限界。葛藤から生まれたFUKKO DESIGN

「FUKKO DESIGNを立ち上げたのは、東日本大震災の時に企画した復興支援に対して、自分自身が煮え切らないものを感じたことがひとつのきっかけです。学生時代に音楽のイベントを企画し、社会人となったあともフェスの立ち上げやアーティストのプロモーションを行っていた私が考えた支援は、音楽ライブの企画でした。被災地から失われてしまった文化的なもの。それをもう一度見つけて欲しかったんですね。復興が徐々に進み、仙石線が復旧してから企画したのが『SENSEKI TRAIN FES』です」

『SENSEKI TRAIN FES』は本塩釜駅・高城町・陸前小野駅に特設会場を設置。フェスで会場を巡るように、観たいライブに合わせて電車で巡るという仕組みでした。イベントには多くのアーティストが参加、その土地の人々の協力も得られたそうです。端からは成功したように見えるのですが、木村さんは異なる感想を抱いていました。

「文化的なものを見つけて欲しいなんて、傲慢だったのではないか。そもそも、“本当に意味があったのだろうか”と、ふと思ったんです。自戒を込めて言うのですが、広告会社の人間はよく“エンターテイメントで解決する”、“クリエイティブの力”といった言葉をかざします。ですが、それがどれだけ復興に役立つのでしょうか。企画やクリエイティブで着飾っても、地元の人たちには浸透していかないことも多いですし、盛り上がりは一過性のものにすぎないかもしれない」

被災地の人々が真に必要としているものは何なのか。それを確かめるために、木村さんは積極的に災害ボランティアに参加し始めました。土砂の片づけから草むしりまで、それらの作業は地道ではありましたが、確かな手ごたえを感じるものでもありました。

「どんなに些細なことであっても、自分の行動が被災地にとって意味のあることに繋がる。この感覚が大事なんだと思いました。つまり、現場目線です。『SENSEKI TRAIN FES』の時には、この現場目線が欠けていたんですね」

改めて、木村さんは広告会社の人間として被災地に関わるようになっていきました。業務に繋がることもありましたが、直面したのはやはり“仕事の限界”でした。会社として請け負う限り、金銭の問題が発生するという点もありました。ですが、デザイナーやコピーライターといった個人単位であれば、会社や金銭問題に関係なく動けます。

「そこで考えたのが、災害に対してアクションを起こすためのネットワーク構築です。被災地での活動を通して知り合った方々にもお声がけし、立ち上がったのが社団法人FUKKO DESIGNです」

アンラッキーを“ラッキー”に変える。FUKKO DESIGNのプロジェクト

社団法人として活動することで、さらに広がる人と人との繋がり。その輪は次第に大きくなり、災害時に声をかけられることが多くなったそうです。

「FUKKO DESIGNを一緒に立ち上げたのは元NHKの方なのですが、他にも百貨店の方、コンテンツホルダー、Webクリエーターなど様々なバックボーンを持つ人たちです。そういう人たちの力を集めて、本来は生まれないような新しい価値をつくる。そこから、お金の流れも作っていく。そうして生まれた利益を、活動の災害支援のための原資にしています」

大前提として、一番いいのは災害が起きないこと。ですが、いつどこで何が起きるか分からないのが現実です。FUKKO DESIGNはそうした現実を見据えつつも、誰でも気軽に参加できる復興をデザインしています。

その中の一つが、2019年に発生した山形県沖地震で、被害を受けた酒蔵を支援した『#もっけだの鶴岡』プロジェクトです。

「“もっけだの”は、“すみません”や“ありがとう”、“ラッキー”を意味する庄内地方の方言です。能登半島沖地震でもそうなのですが、倒壊しやすいのは昔ながらの建物です。日本酒造りが盛んな山形では、酒蔵も被害を受けました。何とか被害を免れた日本酒も、ラベリングが終わっていない状態で、どの銘柄なのかもわからないから、普通だったら安く売るしかない。ですが逆に、どんな銘柄が当たるか分からない“ラッキーボトル”として付加価値を生み出せるのではないかと思いました。先ほど申し上げたように、FUKKO DESIGNには多様なメンバーがいます。メディア関係のメンバーからは、取り上げられやすい切り口の提案。リアルの販売スペースを持つメンバーからは、売り場の提供。広告会社の視野だけではできないプロジェクトができました」

さらに重要なのが、プロジェクトに参画したメンバーにも利益を生むことだと木村さんは言います。例えば、百貨店も事業の存続のためには無料で売り場を貸すわけにはいきません。お金の流れを生み出しながら、参画者にも地元にも正しく還元されていく。

FUKKO DESIGNを軸に、多くの人が主体的に関われる共創の場がデザインされているのです。その事例として次にお話いただいたのが、『鶴之湯の恩返しプロジェクト』でした。

クラウドファンディングも活用し、広がる支援の輪

令和2年7月豪雨では、九州地方に多くの被害をもたらしました。日本三代急流で知られる球磨川流域では、球磨川が氾濫。深刻な水害となったのです。昭和29年の創業以来、球磨川で旅館を営んでいた鶴之湯旅館もまた、1階部分がすべて浸水するという被害に見舞われました。

「鶴之湯旅館のご主人である土山さんはご無事だったのですが、電気水道のライフラインが断たれてしまっている状況でした。支援しようにも、当時はコロナ禍だったので東京から行くわけにもいかない。その時に力になってくれたのが、数か月前に知り合った日産自動車の方でした。現地の販売会社に掛け合って、現地までEV車を手配してくれたんです」

EV車の電気は電動ポンプや夜間作業のライト、連絡ツールである携帯電話の貴重な電力源となりました。ですが、対応は一時的なもの。また、旅館だけではなく、球磨川流域の復興も道半ばでした。木村さんたちが考えたのは、旅館を復旧させ、球磨川流域復興のための一つの拠点として活用すること。

そこで行ったのが、電気自動車を活かした旅館の復興プロジェクトでした。

九州豪雨:災害に強い地域の拠点へ。鶴之湯旅館復活プロジェクト 。2020年10月23日募集終了。目標金額を上回る結果に。

「地元の団体や、大学、高専の先生方、クラウドファンディングの会社、私が所属している会社のメンバー、そして、日産自動車さん連携し、『鶴之湯の恩返しプロジェクト』をスタートさせました。電気自動車と太陽光パネルなどを設置し、今後の災害にも備える仕組みを導入しました。今までにない大企業の力を活かしたものでしたが、私にとっては大きな学びの機会でもありました。企業である以上、無償での提供は現実的ではありません。継続性が失われるためです。そこで日産自動車さんと話し合って行ったのが、自社がマイナスにならない支援です。自動車は無償提供ではなく、原価に近い価格での提供に。太陽光パネルなどは補助金などがあるので、その補助金を申請するサポートを。自社で多額の費用を出すのではなく、人的なリソースを活用する支援にしました。さらに、復興支援活動を先方のオウンドメディア内で発信することで、PRにも繋げています。つまり、赤字にせず、ビジネス面でプラスにもなるようなビジネス視点が盛り込まれていたんです。これは私にはない視点でした」

クラウドファンディングで集まった資金も活用し、鶴之湯旅館は2021年11月に無事に営業再開しました。

 

メディアでは報道されない被害。木村さんが能登半島で直面した現実

2024年1月1日、石川県能登地方を震源とする地震が発生。その痛ましい被害が連日報道されました。

今回の震災においても、自分たちができることはないか。その糸口を探すために、木村さんは液状化が深刻な能登半島へと向かいました。

「輪島、珠洲(すず)などが被害が大きかったのですが、初期は有名な輪島塗や日本酒などの被害が注目されていました。ただ、それ以外の産業も甚大な被害を受けていたのですが、情報がなかなか出ていませんでした。その中でも、酪農の被害がひどいと現地の関係者から聞いていたのですが、あまり情報が出ておらず気になったんです」

石川県の牛乳生産量は決して大くはありませんが、それでも、能登半島には牧場は各所にあります。輪島塗のような伝統工芸だけではなく、その他の産業も打撃を受けているのは確実です。

「とある牧場で、多くの牛たちが倒壊した厩舎の下敷きになってしまったのですが、一部の牛たちが生きているという情報が入ってきました。いざ現地に行ってみると、微かな音が聞こえてくるんです。倒壊した厩舎の隙間から見てみると、何頭か生き残っていました。とはいえ、二次災害の可能性を考えると、独断で瓦礫をどかして救い出す訳にもいかない。私にできたのは、付近で奇跡的に倒壊を免れた牛の親子に可能な限りの餌や水を与えたことだけです。こんなひどい状況が、メディアではまったく報道されていませんでした。人間優先なので仕方がないこととはいえ、この現状をもっと伝えなければいけません」

ホテルに戻った木村さんは、連載を持っている朝日新聞のWebメディア withnewsへ記事を提供。様々なメディアに波及することになりました。

「痛感したのは、発信力の格差です。能登半島は金沢からのアクセス手段が限られて孤立が生まれやすい状態にありました。そうした状況を変えたのが、SNSで現地の情報を適切に発信していた方たちです。メディアが取り上げるまでもなく話題になりましたから、関係各所のサポート体制構築が早かった」

誰もが情報の発信手段を持つようになった一方で、自ら発信ができなければ取り残されるという現実。そうした現実に対して、現場目線で寄り添うことを大切にしたいと木村さんは言います。

「安全な土地から“何かできますよ”なんて言っても、誰も動きません。現地の方々の気持ちを完全に汲み取ることはできなくても、目線だけは合わせたい。そうすれば、私たちの力が必要になった時にお声がけいただけると思うんです」

まだ見ぬ災害にどう備えるか。木村さんが考える防災意識のリデザイン

災害の絶えない日本では、いつ誰が何処で被災者になるかわかりません。まだ見ぬ災害に備えて、私たちは防災意識をどのようにリデザインしていけばいいのでしょうか。最後に木村さんにお伺いしました。

「まず大事なのは、当たり前のことをしっかりやるということです。学校でも職場でも、避難訓練は行われますよね。面倒だと思う方もいるかもしれませんが、真剣に訓練しているかどうかで差が出ると思います。有事に我々を救護してくれる自衛隊も、訓練しているからこそ、力を発揮しているんです。被災後のアクションについては、元官僚や雲研究者、NPOなどの専門家と私たちで『防災アクションガイド』をnoteにまとめているので、ぜひそちらをご覧ください」

『防災アクションガイド』には地震津波への備えはもちろんのこと、大雨や熱中症の備えなど、シチュエーションに応じたガイドが揃っている。

「全員が関われるわけではないと思いますが、可能な方はぜひ災害支援に参加してもらえたらなと思います。災害が起きた地域には各地方自治体から人員が派遣されますが、被災地支援にはたくさんの人の手が必要となります。寝る時間もないような状態で皆さん頑張ってくださっていますが、それでもカバーできない領域がどうしても出てきてしまう。その“隙間”で、現場のことを正しく理解しながら、やれることを探してみてほしいですね」

もちろん現場に行って支援活動をするのは未経験の方にとっては容易なことではありません。

ボランティアへのハードルを少し下げ、“隙間”でちゃんと活動できるようにFUKKO DESIGNは『スケット』と『しえんのおまもり』というサービスを立ち上げています。

“被災地で困っている人とボランティアを直接結び付けるサービス”スケット。

ボランティアに参加し、怪我などをした時のための保険サービス『しえんのおまもり』。

「必要な物資や装備。被災地で起こる様々な出来事。現場に行ってみて初めて分かることが非常に多い。災害のたびに色々なことをさせていただきましたが、毎回いろいろなことを学ばせてもらっています。そして、その学びは確実に役立つと考えています。少し想像してみてください。もし、自分が住んでいる土地で災害が発生したとしたら?何もわからないところから考えたら途方にくれますが、現地で見たことがものすごく役立つはずです。明日は我が身という言葉の意味を改めて考え直し、まだ見ぬ災害に備えてほしいと思います」

Profile

木村充慶|一般社団法人FUKKO DESIGN 理事

FUKKO DESIGNホームページ

2009年、博報堂に入社。音楽フェスの立ち上げ、NHKへの出向(ディレクター見習い)や、雑誌『広告』編集を経て、TBWA HAKUHODO に出向。 SDGsなど社会課題に関する仕事を行う。東日本大震災以降、プライベートで復興支援を行なっているが、その経験を活かして、経産省などの復興事業も担当。何か起きた時に民間企業の有志で、しがらみ抜きに支援できることを目指し、一般社団法人「FUKKO DESIGN」を立ち上げる。

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