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中森じゅあん|日本算命学会 代表
中森じゅあん|日本算命学会 代表
目に見えるものだけが真実だと、人は思いがちです。一方で、人は目に見えないものに関心を抱き続けています。自分の未来がどうなるのか。常に知りたがっているのです。
そんな目には見えない未来を知るための一つの方法として、占いがあります。様々な占いがある中、根強い人気を持つのが中国発祥の算命学。
中森じゅあんさんは、中国最古の占い鬼谷(きこく)算命学をマスター。本業のコピーライターとの2足わらじで占い師として30年間活動しています。有名女性誌で連載をいくつも持っていたこともあり、昨年(2022年)には算命学に関する新刊(『中森じゅあんの算命学』(徳間書店)))も刊行。第一線を走り続けています。占いには人生をよりよくリデザインするだけの力があるのか。中森じゅあんさんにお聞きしました。
1938年に生を受けた中森さん。この時期に生まれた子供たちは戦地に行くことこそなかったものの、皆例外なく戦争の影響を受けています。中森さん自身は東京で生まれた後に満州国の旅順におり、満州国の解体も体験することになります。
そこで目にしたのは旅順になだれ込んでくる中国・ロシアの両軍。そして、礼儀正しい中国の軍人でした。
「私の父は軍医で、満州の海軍病院の病院長を務めていました。軍医も看護婦さんも大勢いて、家族は海軍提供の洋風の官舎に住んでいましたね。幸せで子ども心に、この美しい街は海軍の街だと思っていました。ところが戦争が終わると、中国人とロシア人が大勢やってきました。ロシアと中国で人間性が大きく異なっていたことを、今でもはっきりと覚えています。どういう理由があったかまでは分かりませんけど、ロシア兵の態度は褒められたものではありませんでしたね。でも、中国人はそういうことを一切しなかったんです」
中国軍が取り組んだのは、戦火に見舞われた旅順の地の回復。そのための労働力として日本人男性が徴用されたようです。
「現場の指揮を執っていた中国の一番トップの方が、帰国後の我が家を住まいにすることを望まれました。その方は礼儀正しく、優しく温厚で品があり、子どもながらに感じるものがありました。その体験から、中国への尊敬が芽生えたように思っています」
その後、中森さんの父親は院長として、医師全員を中国に残るように命じることを求められました。しかし、中森さんの父親は自分ひとり残ることで全員を帰国させる交渉をして成功し、ただ一人で中国本土へと向かいました。中森さんは母親と二人きりで、海軍属の大勢の家族とともに日本に帰国。行先は母の実家がある大分県の中津でした。
「物心がついて初めて見る日本でした。その時、自分の生活や将来はこれからどうなっていくんだろうと、思ったんでしょうね。あまりにも満州時代とは生活が変わりすぎましたし、3ヶ月だけの約束で中国に残った父は国交が断絶しているため音信不通。何年経っても帰ってこない。母娘は父の帰りを一心に待っていました。中津の町に行くと、小さなテーブルを道に構えた人たちを見つけたんです。大人が立ち止まっては、彼らに手のひらを差し出している。それが私と占いとのはじめての出会いでした」
中森さんの著書の一部。左:『鬼谷算命占星学入門』(三笠書房刊。絶版)右:『中森じゅあんの算命学 本当の私を知り、人生を動かす!』(徳間書店刊行。2022年11月発売)
中森さんは当時10歳。平時であれば自分の未来を真剣に気にするような年齢ではありません。ですが、旅順から九州に移り住み、環境が激変し、最愛の父の生死も知れない中森さんにとっては目に見えない未来こそが最大の関心事なのでした。
「自分の将来が分かるのなら行きたくてしょうがない。でも心細いので友達を引っぱって一緒に行きました。お小遣いを握りしめて、占い師の人たちを見比べました。私が選んだのは、白髪で着物姿の上品なおばあさま。子ども二人を見て、その方は驚いていましたが、優しく見てくれました」
中森さんの占いの結果は、将来「恋愛結婚をする」「大学まで進む」というもの。子どもだった中森さんにとって結婚などは遠いものでしたが、占いの通りに後に映像作家と恋愛結婚することになります。
一緒だった友人の占いは「とても早くから働いて、自分で稼ぐ」という未来予言でした。そして、やはり彼女は中卒で美容院に住み込み修行を始め、若くして独立することになりました。
「子どもの時は知る由もなかったですが、あれは手相と東洋の占いでしたね。生年月日も聞かれましたから。そんな幼い時に、ルーツは算命学と同じ中国のものと出会っていたとは、今考えてみると不思議なご縁でしたね。ちなみに父はというと、全日本人が帰国した最後の引き揚げ船で8年後に帰ってきてくれました。本場の麻雀の牌をぶら下げて(笑)。私が中学二年生の時のことでした」
高校生の時に、中森さんは浜松に移り住みます。その頃の中森さんの趣味は、一にも二にも読書。ほぼ毎日、放課後は書店に足を運んでいたそうです。そこでの出会いが中森さんの最初のキャリアである広告業界へと繋がることになります。
「テレビもなかったから、文学少女ですよね。強く印象に残っているのは、雑誌、『文學界』の裏表紙に掲載されていたサントリーのトリスハイボールの広告。さらっと短い言葉なのに、センスがよくてお洒落で感心していました。同時に、こういう広告のために文章を書く職業があるんだとも思いましたね。今でいうコピーライターです。高校卒業後は日本大学の芸術学部文芸学科に入り、出版社で本を作る仕事を志していました。でも何故か中国に惹かれて、漢文が好きすぎて、3年生から文理学部の中国文学科に転部しちゃった(笑)。子どもの頃の礼儀正しく優しくて品のよい中国軍人のリーダーの印象が強くて、ずっと中国に親近感を抱いていたんだと思います」
中国には心よせながらも、中森さんはコピーライター養成所を経て最初からフリーランスのコピーライターとして働き始めます。当時は寝る時間もなかったほどに仕事があり、ビジネス面では充実していたものの、プライベートでは悩みを抱えていました。
「夫は当時駆け出しの映像作家で、収入が少なかったのですが、そうと知りつつ結婚しました。そんな状況で結婚したので、とにかく昼夜をおかず働きました。生まれたばかりの子どもを抱えてクライアントにお伺いしたこともあるくらいです。それはまだ良かったのですが、夫が網膜剥離となり、失明同様に。いつ仕事に復帰できるかどうかも先が見えない状態になりました。子どもは1歳になったばかりでした」
そんな時、お見舞いにいらしてくれた夫の知人に勧められて出会ったのが算命学の大家である高尾義政氏。子どもの頃から見えないものに関心があり、大人になってからも占いや不思議なことが好き。そして、中国に縁を感じていた中森さんにとってはまさに運命の出会いでした。
「師匠(高尾義政氏)は私の生年月日を見ただけで、これまでのことや、私の性格、これからどうなるのかについて教えてくれました。それがすべて見事に当たっていたんですね。すぐに算命学に夢中になってしまって、その日の内に弟子入りを志願したんです。師匠は『今、弟子を取る気はまったくありません』と。それでもね、私は諦めなかったんです。子どもの頃から自分が望むことは必ず叶うって信じこんでいましたから、師匠に今何と言われようが必ず習える!とワクワクしながら次々と友達を師匠のとのころに連れて行っては側にピタッと立ってお話を聞くのがとても楽しみで、習慣になっていきました。するとある時、師匠から『弟子を取る時には、待合室に貼り紙を出します』という伝言があったんです」
やがて、壁に張り出された名刺ほどのごく小さな紙に「生徒募集」の文字を見つけ、中森さんは喜び勇んで一番に弟子入りすることになります。
「算命学は思想哲学・学問・歴術・統計学を含めて、中国数千年の英知で育まれてきた世界に誇る思想哲学です。つまり、占術だけではなく、学門の要素が含まれているんです。学術、占術の両側面から森羅万象を捉え、自然の法則を観測しようとするところが、実に理に適っているなと思いました。生まれた瞬間、自然界のエネルギーが入ってきて、それを星にすると、一人一人の宿命が見えてくる。師匠が素晴らしく話上手で、教え方がお上手。本当に毎週が楽しかったですね」
スティーブ・ジョブズの算命学星座表。中心星(その人の性格や考え方に表れでるもの)は龍高星。龍高星の説明には洞察力・創造・企画アイデアに富む自由人など、ジョブズを思わせる言葉が並ぶ。
そんな高尾氏の教えは、生徒は5~6人に減りましたが10年間続きました。
「ところがある日、もう卒業です、と。その時に言われたのが、10年間も続けてくれてありがとう。この学びは業(ごう)になっているから、算命学と縁が切れることはないということでした。あなたたちは趣味だと思っていても、自分のための勉強だろうと、ここまで長く一生懸命続けたものは、一つの業になる。いつかあなたの元に見て欲しいという人が必ず現れるでしょう。その時は人助けの仕事として、この学びを活かしてあげてください。と、はっきり言われたのです」
高尾氏の言葉の通り、何人もの知人やその友人たちが、どんどんが中森さんを訪ねてくるようになります。その評判は女性誌の編集者にまで届き、算命学が中森さんの仕事のもう一つとなっていったのでした。
「本を出したり、雑誌で連載を持たせてもらったりと、色々やりました。個人からの相談もその間引き受けていて、沢山の人とお会いしました。その時に心がけていたのが、算命学に依存させないこと。これまで起きたこと、これから起きることを、算命学を前向きに生かしてご自身の心で、どう受け入れ人生のプラスにしていくのか。それが大事なんです」
一方で、算命学がまったく当てはまらない人も多く見てきたと中森さんは言います。
「算命学では非常にパワフルな星の生まれの人だとします。でもお会いすると、その正反対。繊細で心配性な方なんです。初めは生年月日を間違って見てしまったのかと思いましたが、ちゃんと合っている。算命学で見えているものと、現実の性格や、ものの見方・考え方がまったく違うわけなんです。そういう方たちは現実に問題が多く、ネガティブな思考を無意識に持っていることが多いことも分かってきました。明るい道と暗い道があるとしたら、悪いことマイナス面ばかり意識する。そういった思い癖を持ってい続けると、身動きが取れなくなってしまうんですね。どうして算命学にある星とは裏腹の人生になるのかと、本当に戸惑いましたね。占い師が、理由を求めて悩み始めてしまったんです」
算命学の著書の他にも、スピリチュアル関連の書籍も手掛けている。写真は大和出版刊行の『ANGEL CARD』
海外への栄転が決まったのに、海外生活への強い不安を理由に苦しんでいる人。恋愛結婚の星があるのに、出来ない状況が続いている人。良い宿命の星を説明しても現実に活かされないのは、どうしてなのか。そんな人々を見ていく内に、中森さんはある共通点を見出します。
「幼少期の環境が影響しているんですね。自分は大したことがない、駄目なんだと思い込みながら育ってしまった人は、大人になっても自己評価が低い。無意識であれ痛みを抱えていて、それが現実を作っているのです。本当はね、過去の間違った思い込みです。もう子供ではないんです。でも、子どもの頃の経験が大人になってからも影響してしまっている。これは心の問題で、算命学ではカバーできません」
算命学だけでは解決できない、心の問題。中森さんはコピーライターや算命学の仕事の合間を縫って、心理学も学び始めます。そこで巡り合ったのが「トランスパーソナル心理療法」であり「魂の法則」でした。分かったのは、心の底の潜在意識が人生を大きく左右しているのだということでした。
中森さんは心理療法だけではなく、スピリチュアルなサポートも行うことになるのでした。
「算命学、心理療法、スピリチュアル。この3つが私の柱になっています。常に勉強中の身ではありますが、大事なのは物事の捉え方。どのような体験も、魂の成長のために活かせる素晴らしいチャンスに出来るのです。大切なのは、そのことに気付けるかどうかということだと思います」
続けて中森さんが話してくれたのは、天中殺(てんちゅうさつ)のこと。天中殺は、誰のもとにも12年に1度、2年間定期的に訪れます。天が味方をしてくれない時期とも言われており、言葉を聞いただけで嫌な印象を持つ人もいるかもしれません。ですが天中殺もまた、捉え方と行動で人生を豊かにできるものだと中森さんは言います。
「運気の変化も自然の法則と一緒なんです。台風の時には身を潜めるように、来ると分かっているものに対して備えをする。大事な決断は天中殺に入る前に済ませておく、などですね。もしそれが間に合わなくても、落ち込むことはありません。その2年間は勉強をして自分の引き出しを増やすとか、周囲と調和し心の平安を育てて人のために尽くしてみるとか。攻めではなく、受け身の生き方を選んで生きることは後々の財産に思えるものなのです」
オードリーヘップバーンの算命学星座表。石門星を二つ持っており、社交的である一方で自分の価値観を重視する。オードリーは2度の離婚を経験しているが、そのいずれも家族に対する価値観の違いに起因するものだった。しかし晩年では年下のパートナーとともに『最良の時』を過ごしたという。
「中には天中殺だと知らないで結婚や起業をする人もいます。そういう人たちは後になってから、大変なことになったと相談しに来ることもあります。でもそれはもう、体験して乗り越えていくしかありません。躓き、乗り越えていくことで、人生は豊かになっていくはずです。悪いことが起きても、その時は受け入れて学びや気づきの機会にすればいい。最善を尽くすことが大事です」
目には見えない未来を少しでも知ろうとして、人は道標を求めます。その根底には悪い出来事を避けたいという想いが隠れています。ですが、人生に四季のように訪れる光と影を受け入れてフラットに生きていく。そうすることで、未来が少しずつ見えてくるのかもしれません。
「これまで算命学や心理療法、そして見えない世界で学んできて分かってきたことなのですが、私たち人間は想像以上に過去に縛られています。良いことも悪いことも、子どもの頃の体験を知らず知らずのうちに無意識に投影しながら生きているんです。でも、過去は過去。緊張しなくていいんです。深呼吸して、リラックスをする。そうして、目の前に起きていることをありのままに受け止める。それは、安易な判断や批判をしないということでもあります。物事に白黒をつけたり、悪いことが起きた時に誰かのせいにしたり、そういう色眼鏡は外しましょう。誰もがこの世界に愛とともに祝福されて生まれているのですから、自分の中にある不安や恐れも気づいたら、そっと優しく手放し本当の自分を探し求めていく。それが人生を実りのあるもにしていくのだと思います」
Profile
中森じゅあん|日本算命学会 代表
27年間のフリーランスコピーライター中に、呉家算命学13代宗家・文学博士(故)高尾義政氏の直門下第一期生として、10年間薫陶を得る。その後、魂の師(故)吉福伸逸氏との出会いから、トランスパーソナル心理学を皮切りに、世界各国の心理療法などを幅広く学び続け今日に至る。
現在、個人セッション、グループワーク、講演、執筆など多彩な分野で活躍。
『中森じゅあんの算命学』(徳間書店)、横尾忠則氏とのこコラボ本『天使の愛』、
『中森じゅあんの算命学入門』(三笠書房)、『天使のメッセージ』シリーズ、『ANGEL CARD』(大和出版)など著書多数。天使のメッセージシリーズ①②はロングセラー。
英国、米国、中国などでも翻訳されている。
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